11月2日付/朝日新聞「(多和田葉子のベルリン通信)歴史の一部、建物も私も」のご案内

みなさん、こんにちは

ご無沙汰しておりますHARNET事務局です。

2018年11月2日に朝日新聞に掲載されました

(多和田葉子のベルリン通信)歴史の一部、建物も私も

の記事のご案内となります。このところ、少しかたいイベントのご案内が続いていたので、小休止的な投稿となります。

古い家を快適に暮らせるように改装するのには手間も費用もかかるが、自分も歴史の一部なのだという充実感を日々味わうことができる。-(略)-アルトバウ(19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられた住宅)の高い天井を見上げていると、19世紀末から20世紀初頭にかけて、それまでは想像もできなかったような新しい文学、美術、音楽、ダンスを生み出した人たちの声が聞こえてくる。

ぜひ、全文をお読みいただければ幸いです。

笠井一子『京の大工棟梁と七人の職人衆』草思社

私たちはもはや無意識に、外気温に影響されにくく、一年中心地よい温熱環といった性能を高め、換気を機械に頼る住宅に住んでいます。

 

木造の家というのは、壁が、材木が、畳が、襖や障子が、いつも空気と湿気の調整をしてくれとる

中村外二 数寄屋大工

 

一方、日本の昔からの家は、木の1本1本の表情、自然界の個性を建築の中に生かすこと、すなわち、《生きている》ものとして扱うという技術を先達は備えていたことがわかります。この本は数寄屋大工の中村外二棟梁をはじめとし、左官、表具師、錺師、畳師、簾師、石工、庭師の7人衆の物語が書かれています。身体から出たことばがとてもうつくしい聞き語り本です。職人は身体からことばを生みました。

 

笠井一子『京の大工棟梁と七人の職人衆』草思社

幸田文『幸田文 対話』岩波書店

岩波の『幸田文 対話』に西岡常一棟梁との対話が載っていると伺いました。

※「檜が語りかける」(昭和52年1月1日『世界』)他にも土門拳との対談「木のこころ」(昭和50年7月『もり』)などが載っております。

幸田:いつか、大きな材へ棟梁が墨を引いているときに、切るってどういうことって伺ったらば、いい面を2つ取ることだっておっしゃったわね。素人は役に立てるほうの木だけをいいものとして取って、あと要らないほうのことは考えないと思うけれど、そうじゃなくて、きれいに平らに切るには、片っ方がよけりゃ片っ方も自然にいい面になっている。こうおっしゃった。切るってことは、だから要らないところを取るっていうんじゃなくて、きれいな面が2つできる。

西岡:命を2つに分けてあげる。

木、土の見分け方など「生きている」自然の素材をみて、建築・修理を行う技術や知見が、時代を経て継受されるために、私たちの時代で出来ることは、各専門分野の知見や技術を各地域での具体的な事業化を通じて、現場レベルで総合的に捉え、足りない部分を互いに補完し合うことであると考えます。

そうした事業と制度や補助の仕組みが兼ね合うことで、事例の蓄積がなされ、その積み重ねが古民家の佳さや価値を自ずと(自然に)つたえる役割を果たすのではないでしょうか。

 

 

後藤治+オフィスビル総合研究所『都市の記憶を失う前に』白揚社新書

白揚社新書『都市の記憶を失う前に』後藤治+オフィスビル総合研究所

日本における多くの歴史的建築物はとても厳しい状況にあります。後藤は本書の中でその理由に関して、(1)国土の高度・効率的利用、(2)防災・安全への対策の課題を掲げ、歴史的建築物保全への具体的処方箋を論じています。

上記2つの公共性は、近代の日本、戦後とくに都市部の人口密度の高さの解消を目的に設定されたものです。人口減少時代を迎えた現在も尚、木造の低層建物× 鉄・コンクリートによる中高層建物○その大きな方向性は変わっておらず、そのための補助金の支給や低利融資等の公的資金の導入、税制優遇等の措置など各種事業が広く存在しています。

都市の記憶は、減価しない。むしろ、増価する。

その過程の中で、歴史的建築物をより柔軟に継ぐことのできるような法体系、ルールの設計と自然な実践な営みをつくりだす運動のデザインはどのようなものでしょうか。

野口裕之「木の現在」

日本の伝統建築工法は西欧建築工法とは全く異なる体系を有しています。

日本の伝統建築工法は西欧建築工法の〈掘って埋めて立てる構造〉ではなく、〈造って置く〉構造であり、それは強度よりも釣り合いに主眼を措き、その釣り合いを求めて〈貫構造〉や釘を用いぬ〈木組み法〉などの知恵が結集された。

しかしながら、我が国における建築に関する制度体系は、西欧建築工法をベースとして成り立っており、日本の伝統建築工法に関しては、多くの実証研究がなされつつも、制度的な確立は十分とは言えません。

日本の伝統建築工法の最大の原理は〈木を生きているものとして扱う〉ことである。

大工は呼吸する木を扱い、南斜面に生えた木は南側に上下誤たなく、使い、製材された木材を一目見て、その背と腹、天と地を見分けることが出来るとされていました。必然的にそこには風土との感応があり、そこには文化が自ずと屹立します。私たちの先達は〈その居心地の佳さ〉を建築に取り入れながら暮らしていました。

建築は文化から生まれ、文化を支え返すものである

私たちの運動の狙いはここにあると考えます。

 

野口裕之「木の現在」「生きることと死ぬことー日本の自壊」の中のひとつのエッセイ

鈴木昌子編『これは教育学ではない 教育詩学探求』2006、冬弓舎