法令遵守と安全性の確保

建物の安全性は法令で確保するもの
それだけではないんだよ

とする、運動の設計

私たちは法令遵守を至上命題と捉え、大切にルールを育もうとしてきました。

しかしながら、言わずもがな、法令遵守をしてさえすれば、安全性は確保され、私たちの生活は安心安全で豊かになるといったことはありません。

本運動論に関連していえば、

建築確認制度という制度は、「建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準」が定められており、自治体の建築主事が着工前にその最低限の基準が満たされているかどうかを確認するものとされています。

建築確認制度は、この手続きを受けなければ、建築工事が出来ないという効果のみであり、工事が完了した後や、それ以降、その建築物がどうなっているかはほとんど問題にされません。しかしながら、言わずもがな、建築物は長期にわたって使用されます。

日常の中で、施主が愛し、地域に愛され、育っていく建築物の安全性の確保は誰が行うべきか。どうやって行われるべきか。

着工前の基準を満たすか否かのチェックだけではなく、それ以降の育て方に関しての「眼」をどう育んでいくか。

これらはとても大切な議論です。

私たちは日常で既存不適格とされた建築物を多く抱え、一方で、全国一律の高度化への公共性の付与に基づく法令の下で、建築物を(1)どうつくり、(2)育てていくかという課題を抱えています。

長年、法令や制度の形骸化への指摘がなされて、そのひとつの対応の帰結として規制強化がなされてきました。

しかしながら、「規制強化がなされればなされるほど安全性が確保される」といった単純な構図はもはや私たちの社会で支えることがむずかしくなっています。

しかしながら、その解決の解は容易には見つからず、既存の法令遵守の強化や自治体の建築主事の確認の仕組み等を安易に否定する立脚は、解決の手立てを遠ざけています。

(1)つくり、(2)育むための仕組みはどのようなものでしょうか。

法令遵守の徹底、規制強化に頼ることで、失われたもの、得られたものは各々どういったものでしょうか。関係者はどのように関わることが可能でしょうか。

制度改革を踏まえたこの運動体が小さな答えを出し続けていくことが出来ればと思います。

 

笠井一子『京の大工棟梁と七人の職人衆』草思社

私たちはもはや無意識に、外気温に影響されにくく、一年中心地よい温熱環といった性能を高め、換気を機械に頼る住宅に住んでいます。

 

木造の家というのは、壁が、材木が、畳が、襖や障子が、いつも空気と湿気の調整をしてくれとる

中村外二 数寄屋大工

 

一方、日本の昔からの家は、木の1本1本の表情、自然界の個性を建築の中に生かすこと、すなわち、《生きている》ものとして扱うという技術を先達は備えていたことがわかります。この本は数寄屋大工の中村外二棟梁をはじめとし、左官、表具師、錺師、畳師、簾師、石工、庭師の7人衆の物語が書かれています。身体から出たことばがとてもうつくしい聞き語り本です。職人は身体からことばを生みました。

 

笠井一子『京の大工棟梁と七人の職人衆』草思社

ネットワーク加盟 新会員(団体)のご案内

この度、一般社団法人伝統を未来につなげる会一般財団法人京都伝統建築技術協会が本ネットワークにご加盟下さいました。

小さな運動体ですが、たくさんの方々に応援いただき、大変心強く感じます。

尚、同会が発刊されております「伝統を未来に」という冊子は非常に豊富な知見、一次情報から成り立ち、とても貴重なたいせつな文献です。

本運動がこうした深く耕された歩みを一歩でも先へ継げるような運動になればと思っております。

皆様、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

幸田文『幸田文 対話』岩波書店

岩波の『幸田文 対話』に西岡常一棟梁との対話が載っていると伺いました。

※「檜が語りかける」(昭和52年1月1日『世界』)他にも土門拳との対談「木のこころ」(昭和50年7月『もり』)などが載っております。

幸田:いつか、大きな材へ棟梁が墨を引いているときに、切るってどういうことって伺ったらば、いい面を2つ取ることだっておっしゃったわね。素人は役に立てるほうの木だけをいいものとして取って、あと要らないほうのことは考えないと思うけれど、そうじゃなくて、きれいに平らに切るには、片っ方がよけりゃ片っ方も自然にいい面になっている。こうおっしゃった。切るってことは、だから要らないところを取るっていうんじゃなくて、きれいな面が2つできる。

西岡:命を2つに分けてあげる。

木、土の見分け方など「生きている」自然の素材をみて、建築・修理を行う技術や知見が、時代を経て継受されるために、私たちの時代で出来ることは、各専門分野の知見や技術を各地域での具体的な事業化を通じて、現場レベルで総合的に捉え、足りない部分を互いに補完し合うことであると考えます。

そうした事業と制度や補助の仕組みが兼ね合うことで、事例の蓄積がなされ、その積み重ねが古民家の佳さや価値を自ずと(自然に)つたえる役割を果たすのではないでしょうか。